Yoga Prasãda
ヨーガ プラサーダ
人生で探していたことは
私が私にリラックスすること
Yoga Prasãda
【クラスのご案内】
ヨーガを学ぶ朝のクラス ーSwami Dayananda ji の言葉から学びます
週に一度、朝90分ヨーガの知識に触れて、暮らしの中でカルマヨーガを楽しむクラスです。詳しくはクラス案内をご覧ください。
【クラスの内容や近況など】
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▶カレンダークラス全42回が終わりました<2022 8月>
昨年の9月にスタートした、スワミダヤーナンダジのお言葉を頼りにヴェーダの宇宙観を学ぶクラスが終わりました。最終回は、みなさんが日常でどのようにイーシュワラを感じ理解してきたのか、日々のカルマヨーガの感想や学びをお一人ずつお話ししてもらいました。自分の感情をウエルカムしてシャマを育てることのお話、小さなお子さんがイーシュワラと関わることを見守るお話、周りに怒りの犠牲者を出さないためにしてきたこと、ダルマを選ぶことで自分自身がダルマに守られた体験談など、それぞれのカルマヨーガをみんなで共有する良い時間となりました。少人数なので、気楽に発言や質問ができるので参加しやすいかったなど、お声も頂きました。私も皆さんのお陰で全42回を楽しく続けることができました。本当にありがとうございます。
さて、このコロナ禍で、実はzoomの場所に困っておりました。家族も在宅が多くなり、録画しながらzoomできるスペースがないのです。そこで、このクラスがある日は主人に出社をお願いしていたのです(笑)そんな事情もありまして、また日時を調整してから、何らかのクラスを再開できたら良いなと思っております。
こうしてゆるっと8年間も、私が聖典の学びを言葉にしてお伝えする機会が与えられています。聞いて下さる方がいるからこそ続けてくることができました。そして私自身にとっても、大切な学びの時間となっております。本当に有難いことです。いつもイーシュワラに守られて運ばれていることに感謝です。ありがとうございます。
▶京都にも行ってきました・・・〈2022 4月〉
4月19日本日のクラスはテキスト【16】でした。全部で31ありますので、ちょうど半分です。ここ3週【13】からの話題は、イーシュワラそのものを明かすヴェーダーンタの話題が続いておりましたが、本日からまたカルマヨーガの話題に戻りましたので、みなさんとだいぶリラックスして(笑)自分の日常と照らし合わせながらディスカッションを楽しめそうです。よろしくお願いします。
3月の最終週に、1週間ほどスワミジのいらっしゃる京都のパラヴィッデャ・ケンドラムに行っておりました。2か月間にわたる聖典を学ぶキャンプも終盤となり、ともに学んできた皆さんと楽しい時間を過ごしてきました。コロナ禍ですので少人数でゆったり過ごせました。ちょうど京都も桜の時期でしたので、みんなで京都物園でお花見したり、お寺に行ったりと、プチイベントも楽しんできました。
▶自己尊厳がないのです・・・<2022 2月>
本日2/22(火)のクラスでは、テキスト【10】に入りました。テキストは「いつでも誰かの困難に出くわした時、どうかあなたの成熟の機会を失いませんように」という見出しから始まります。自己尊厳のある人は、援助の手が差し伸べられる強さがありますと言われています。「援助の手」と言ってもボランティアのことではありません。
自己尊厳のある人は、まず個人のラーガ・ドヴェーシャ(好ましいこと・避けたいこと)に負けず、日々自分のするべき事をすることができる人です。それは自分の内なるダルマ(調和)を選べる強い人なのです。ダルマを選べる人は、その人自身も内なる調和が溢れてきます。これはカルマヨーガでまさに実感できるものです。ダルマとの調和をカルマヨーガで練習する人は、その人自身が自分を自己尊厳のある人へと成長させていくのです。
自己尊厳のある人は、その時その状況で、周りの人に対して、社会に対して、するべき事ができる人です。それが援助の手を差し伸べられるということです。自分の内なる喜びや自分の成長のために、与える行為ができる人なのです。
私たちは自分自身の本質が満足であることを、なんとなく知っているのです。だから、満足を求めてもがきます(笑)私もそう、自己尊厳のない自分、満足のない自分に気が付いてもがいてきました。人はみんな同じような道のりを生きるのだと思います。
そのことを、学びながら語り合えるのが、このヨーガクラスの良い所だと思います。たとえカルマヨーガが上手くいかなくても、自分を責めることなく、今までしがみついてきた自分を手放して言葉で語ってみます。心を開くということです。そこから人の成熟がはじまるのだと思います。
本日もありがとうございました。
ヨーガの基礎知識を深めるためのコラム
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▼ヨーガとは、調和のハーモニーを奏でる生き方なのです。
ヨーガ योगという言葉は、 ”繋がる”という意味を持つ源の音 युज् (yuj)から派生した言葉です。ヨーガという言葉が持つ本来の意味は、あるがままの宇宙観を理解することや、その理解を探求する生き方のことになります。
インドに古くからあるヴェーダの文化を生きる人々は、この宇宙こそが生きていている、たった一つの存在であると理解を持っています。星が周期し、季節が変わり、雨が降り、一粒の種から花が咲き、その生きた宇宙の秩序は「ダルマ」と呼ばれています。目に見える世界だけでなく、目に見えるこの世界を支えている秩序であるダルマを学び、このダルマと調和することを大切に生きています。
それは親から子供へ、学校の先生から生徒へと、当たり前のあるがままの宇宙観として何千年も教え伝えられている普遍の知識です。人はこの現れた世界の表面的な部分しか見えていません。その勘違いを含む見方を手放して、知識によってあるがままの世界をあるがままに知ることで成熟します。
つまりヨーガという言葉は、この現れた世界の背景として、時間、空間を含め全てを支えている秩序・ダルマを学びながら、生きた宇宙イーシュワラを理解することと、その生き方の両方を意味する言葉なのです。源の音の”繋がる”という意味は、「間違った見方を手放して、知識と繋がる」ということなのです。
私たちは、この宇宙がたった一つの生きた存在であることを知りません。限られたこの時間と空間の中だけの考えを使って世界を明かしている私たちの目には、決して見ることができないからです。この世界がダルマ、完璧な秩序・法則の現れた姿であることを理解できる綺麗な考えがある人にだけ、この時間と空間を超えている存在意識が論理的に理解できると言われます。
その知識と伝統的な方法論を教えるのが、ヴェーダの知識体の結論の部分でヴェーダーンタと言います。この「私」とは、時間と空間ですら閉じ込めることができない存在、シャーンティでリラックスの意味であることを明かします。あらゆる哲学や宗教の源と考えられている、時代を経ても決して変化したり、付け変わることのない普遍の知識と言われます。
ヨーガという生き方は、たった一つの存在意識イーシュワラを知って、この世界とも、そして自分自身とも摩擦しない、世界の全てと調和のハーモニーを奏でる生き方です。私たちの不満足や争いを生みだす"無知と妄想"を追い払い、私自身がそもそも満足であることを知る、私が私にリラックスする生き方へと導いてくれます。
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